自粛中は自重トレ ~家でできるトレーニング~
「ん…閉まってる!?」
あなたのお気に入りのジム。まさかの休館中ではありませんか?私ももれなく締め出されました。世界中のマッチョ達が泣いています。
落ち込んでいても仕方ない!昨今の世界的な病気の流行に抗うべく、身体を鍛えましょう。今こそ!
「トレーニングしながら旅します。」
などと書いているのに、全くトレーニング関係の記事をあげていなかったワタクシ。反省と言っては何ですが、私がジムに行けないときにおこなうトレーニングを紹介します。
1.胸
①椅子腕立て伏せ
可動域を大きくとることを意識。椅子の座面よりできる限り下まで、体幹を落とすイメージ。
②ディップス
椅子が二つあればできます。胸だけでなく三頭筋にも効きます。両手で椅子の背もたれをつかんで体を落としていきましょう。
③チューブクロスオーバー
ジムのケーブルクロスオーバーのイメージ。柱などにトレーニングチューブを引っかけて行う。胸がしっかりストレッチされているのを意識。
④あとはひたすら腕立て伏せ
手幅を広めにするなどすれば、効き方も変わってきます。苦しくなってきたら膝を地面について。
2.肩
①逆立ち腕立て
冒頭の写真の通り。私の場合は壁側に腹を向けます。体操選手はそうして鍛える人もいるそうです。おでこが地面につくかつかんかのところまで頑張ります。
②チューブ(サイド、リア)レイズ
ダンベルで行うようなレイズ系をチューブで。
③チューブアップライトロウイング
僧帽筋をねらって。チューブを下から顎まで引き上げます。
④でかボトルフロントレイズ
洗剤など入った10リットルのボトルでフロントレイズ。
3.上腕三頭筋
①ボトルキックバック
身体を地面と平行に。肘を90度の状態から伸ばしきるまで頑張る。
②ベンチディップス
椅子一つでのディップス。顎をあげると頭の重みで負荷が増す。と思う。
③チューブプレスダウン
引っかけるところがあれば…チューブを上から下に引き下げる運動。途中でチューブを交差させてYの字状にしてもいいと思う。
④ナロープッシュアッブ
両手幅を狭めた腕立て伏せ。
4.上腕二頭筋
①チューブアームカール
足でチューブの中間点を踏んで、カールを行う。
②チューブハンマーカール
上腕筋のためのトレーニング。
③反対側の手に抵抗カール
両手でセルフ握手をして。反対側の手に抗うようにカールをしていきます。
④台所持ち上げカール
台所など絶対に持ち上がらないものを持ち上げようと試みる。アイソメトリックトレーニングとなる。
5.背中
①チューブローロー
長座の姿勢で足裏にチューブを引っかける。やや反り腰になり背筋を意識して引っ張る。
②チューブラットプルダウン
頭上の何かにチューブを引っかける。これも反り腰気味で背筋を意識して引く。
③チューブベントオーバーローイング(両手・片手)
前屈みの姿勢。足でチューブを踏み、背筋で引いてくる。
④ひたすら懸垂
つかむところがあれば!
6.脚
①スクワット
②チューブスクワット
足で輪にしたチューブを踏み、肩にもチューブをかけてスクワット。
③ブルガリアンスクワット
片脚を前に出し、もう一方は椅子などに乗せる。スピードスケーターのように屈伸運動を行う。
④ピストルスクワット
片脚スクワット。宙に浮いた側の脚はまっすぐ伸ばす。
⑤シシースクワット
⑥カーフレイズ
踵の上げ下ろし。
⑦自力レッグカール
寝そべる。片脚で逆側に抵抗をかける。太もも裏に負荷を感じるように曲げ伸ばしをする。
⑦チューブデッドリフト
7.あとはひたすら腹筋
最近は某動画投稿サイトが有名ですね。そこに数多くの良いお手本動画があると思うので、上記のもので興味を引くものがあれば、お探しになってみては?
もちろんワタクシに相談頂いてもOKです!
この記事をご覧になった方が、腕立て伏せの一回でもして下さったら…とても嬉しく思います。
ずっと更新をサボっていたのですが…友人の
「一人の読者からすべてが始まる」
という名言に目が覚めました。感謝です。Thank you. Gracias.
今回の写真、数年前に南の島で撮影していただいたものも、多数使わせていただきました。当時ご協力して下さったことに感謝しております。
リマの競馬
「Jockey Club」
グーグルマップに移ったその文字に興味津々だった。そして地図上には競馬場のコースが映っている。昔から競馬のファンである。馬券はほとんど買わないがファンである。テイエムオペラオーの引退式、オルフェーヴル最後の有馬記念…いろんな情景が思い出された。
行くしかないやろ!
競馬場はリマ市の東側に位置している。とりあえずその方向に走るバスに乗ってしまおう。途中で乗り換えた。2本目のバス、車掌の兄ちゃんに「ジョッキー!」と伝えた。うなずいている。これで目的地まで行ける。はず。
競馬場に着いた。
特に物音もせず、静かなものだ。大きな野外ホールが併設されている。そこで行われているサーカスとコミックフェスタの方が人気のようだ。
ホンマに開催日なんか?
そう思って競馬場らしきとこの門をくぐった。壁にはレースの写真が!一気にテンションが上がった。コースはダートが外、芝が内のアメリカ合衆国式。昼間からビールを飲んでにやにやするおっちゃん。タバコ片手に新聞とにらめっこするおっちゃん。ゴール前しゃがれた声で「バモス!バモス!(行け!行け!)」を連呼するおっちゃん。どこまでも競馬場だった。
第1競走はテキトーに単勝1本勝負(3ソル=約100円)。見事に散りました。第2競走は静かに観戦。どこか地元に帰ってきたような雰囲気でリラックスしてしまう。
そして迎えた第3競走。SAKURAなる馬名が新聞に踊っている。これは買うしかないでしょう!咲け咲けSAKURA!
馬券売り場のおばちゃんには
「SAKURAってどういう意味?」
と質問された。
「セレッソ(桜)やで!」
と答えておいた。今回は中国人ではなく日本人と思ってもらえたらしい。
そしてレースはスタート。適当にしか買っていないし、馬券を当てにはしていなかった。実況も早口のスペイン語でよくわからん。気が付けばレースはゴール前、一頭の馬が内から伸びてきた。
「サク―ラ!サク―ラ!!」
となりのお兄ちゃんが叫んでいた!
勝った!さくらさんグラシアス!!!
オッズは4倍だったらしい。残りのレースは静かに応援だけし、雰囲気を味わって帰路についた。世界の競馬場を回るんもええな…と思った。
さあ、そろそろ帰宅だ。
マラソンに感動
路上を埋め尽くす人、人、人。陸上競技だ。リマで出会う事になるとは…
現在、リマでは「パンアメリカン競技大会」なるスポーツ大会が開催されている。スポーツに関わってきた私、機会があれば見に行きたいとは思っていた。市場で朝の買い物をした後、食堂に入った。するとテレビにはマラソンの中継が映っていた。どうやらスタート地点は宿の近くらしい。
女子のスタートには間に合わなかったが一時間後の男子のスタートには間に合った。
このレースは周回コースを使う。何度か選手を見る機会がある訳だ。路上には国旗を持った人や赤白のペルー国旗色の服を着た人が大挙している。身動きが取れないほどである。道端の飲食店のテレビには人だかりができている。
客も通りすがりも店員も関係なしに、くぎ付けになっている。そしてサッカーの応援のような歌が鳴り響く。
懸命に走る姿が人をここまで動かすのかと感じた。私も細々とではあるが、スポーツを続けてきた。最近はスポーツの持つ力を忘れかけていたのも事実。ここまで影響力のあるものなのだとあらためて感じた。
スポーツはええなあ。感動…
「ペルー!ペルー!!」
この声が追い風になったのか、男女ともに地元ペルー選手が優勝!地鳴りのような歓声が沸き起こった。
私自身もかつてスポーツの国際大会に関わったことがあった。ちょうど一年前だ。規模はこのパンアメリカン競技大会と比べ物にならない。しかし国際大会ではあった。陸上競技チームの監督をさせてもらった。
そこはスポーツの根付いていない地域、そして放送網も整備されていない地域だった。それを言い訳にしてはいけないが、ここまで多くの人を熱狂させることなどできなかった。「やれることはやった。」「無力だった。」両方の思いが残った。
そこからスポーツに関わる機会は減っていた。でもこの日、忘れかけていた思いが少しよみがえってきた。
一生懸命さは伝わる。
さあこの旅も終盤。たるみ切った身体はまたジム通いで締めていきます。
一生懸命やります!
選手の皆さんお疲れさまでした!ようやくスポーツブログらしいことが書けました。ちなみに、この競技会の野球の部には、ソフトバンクホークスのグラシアル選手とモイネロ投手が出るらしいです。
この次の記事もスポーツ系(のつもり)で…
カニ食いに悔いが残ったパタゴニア
到着した翌日は良く晴れていた。海沿いを歩いてみる。「Punta Arenas」の文字碑の前には数組の観光客がいた。地面は凍っている。すり足気味に歩かないと滑ってしまう。7月に天然スケートをすることになるとは思いもよらなかった。
町には記念像がいくつかあった。マゼランを模したものもあった。無料で入れる美術館があった。かつてこの地にわたってきたオーストリア人の邸宅を開放している。町の雰囲気もそうだが南米にいる事を忘れてしまう。ドイツとかイギリスとか北欧とか…ラテン以外のヨーロッパの町にいるようだ。(そのへんにはあまり詳しくないが…)チリでは南へ行くほどラテン色が薄くなるよ気がする。
海鮮市場に行ってみた。南米の市場特有の活気はない。きれいな暖房付きの建物と整ったか前の店が数軒あるだけだった。セントージャという蟹が有名らしいが、丸ごと売っているわけではなかった。レストランに行けばカニ料理はあるようだ。めちゃくちゃ高かった。それにごちゃごちゃ手を加えたカニなどあまり食べる気がしない。茹でたやつをバリバリ食うのがいいのだ。この日はカニを諦めた。
丘の上にある展望台に上ってみた。町を一望できた。景色に感動することの少ない私。それでもこの瞬間は寒い中、丘を登った甲斐があったと感じた。町の中心では昨日の冬まつりの続きをやっていた。なんとも田舎町の冬という感じだった。寒いので宿に戻った。冬の山小屋?寒風の吹く海の家?そんな雰囲気が続いていた。WiFiがバイバイしていた。
次の日は月曜日だった。この日は是非行っておきたい場所があった。最南端のビール醸造所である。「Austral」というビール会社。到着した日に一本飲んだが美味い!中南米の薄めのビールとは違う、苦みに加えしっかりとした味がある。それでいて苦さがしつこくない。キレを感じる。私はビールに詳しくないがとにかく美味い。と思う。
昼前に「ソナ・フランカ」という免税ショッピングモールに行った。デカいスーパーとホームセンターが2軒ずつくらいあった。特に珍しいものもなく30分で引き返す。さあビールビールである。予約が必要か、料金はいくらか、などの情報は全くない。とりあえず行けば何とかなるだろうと思った。入口に辿り着いたときは午後2時。守衛のオッサンは3時まで待てと言う。玄関前で待っているとみぞれが降り出した。風もビュービュー。ほんでもって3時になっても玄関は開かんのです。もうアカン…と思ったとき。扉が開いた。ツアーガイド役の社員が来て4時から開始だという。とにかくストーブの近くに寄って、体を温める。ビールへのウォームアップである。
4時直前になってぞろぞろと人が集まってきた。どうやら予約なしでこの日は行けたようだ。他のブログでは「予約なしではダメ」「日によっては入れない」などの情報も流れていた。私の運が良かったのだろう。
このビールの歴史の解説。研究室訪問。
製缶ラインの見学。などを経て…
試飲でございます。
6種類ものビールが登場。空気を読んで何回も注いでくれるガイドさん。挙句の果てに彼自身も飲んでいた。果物っぽい香りがするモノ、黒ビール、6.1%アルコールというパンチの効いたモノもあった。いやはや満足である。
翌日、プンタアレナスを発つ前にセント―ジャはどーや?と思い、高くても味を確かめたくなった。どうやらグラタンみたいな料理しかこの日は無いらしい。さびれた市場のレストランに入った。
そのグラタンを頼んだ。チュペとかいうらしい。10分ほど待っただろうか。音がした。
「チーン」
耳を疑った。あろうことか子ども用のごとく小さな器のグラタンが電子レンジから出てきた。これで勝手にチップも取られ10000ペソ(約1500円)。二度と食べません。腹が立ったので写真も撮る気にならんかった。
まあカニやったら日本でも仰山食えますわね。関西やったら香住や間人。美味いもんは仰山ございます。
その後はタクシーを拾い空港に向かった。8000ペソ。特に高値を付ける気もないらしい。とぼけた運転手のおっちゃんでした。日本の商社の人らとかつては仕事をしていたとか…世界の果てでも日本の会社は有名でした。
カニ食いへの悔いは残ったが、プンタアレナスは良い町だったと思う。またいつか、今度は夏のパタゴニアを見てみたい。
さあサンティアゴ経由でペルー・リマに再上陸だ!
パタゴニアで「春が来た」?
辿り着いた。パタゴニア。
ここがホテル・モンテカルロ。椎名誠さんが止まった宿。その前で写真をパシャリ。私は半額で泊まれる別の宿で寝たのだが…ともかく今回の旅の目標は達成した。米大陸最南端の都市(とされる)プンタアレナスの地を踏んだ。
ここに来る前日、プエルトモンを発った。長い一日だった。どの宿も安くない。観光するにも季節が良くないようだ。そう考え翌日の飛行機まで夕方から空港で待機した。空港のロビーが宿だ。バスの運転手も「ここは安全。トイレもタダ」などと言っている。暖房付き。インターネット完備。ジュース一本300円近くするなど、物価は異常だが…
飛行機のテイクオフは朝8時半ごろ。それまでゴロゴロ。真冬の空港は暖房が効いていても寒い。金属製のベンチに寝転がると冷たさが身に染みる。あまりよく眠れないままだった。深夜(日本の真昼間)には吉本新喜劇の生中継を拝見。寝んのか思たら寝えへんのかい!と自分に突っ込んだ。寒さ対策には笑いで腹筋を刺激するとええとわかりました。
翌朝、「SKY」社なるチリのLCCに乗りプンタアレナスまで2時間ほどの空の旅。テイクオフと同時に意識もオフ。起きたら着陸寸前だった。
南極に近いプンタアレナス。7月は真冬だ。外に出るのには気合が必要。
う…何とかなる寒さだった。
大阪の真冬の寒い一日という感じ。ただし風が吹くと吹っ飛ばされそう。そして瞬間的な寒さを感じる。
空港から市内へは乗合タクシーがマイクロバスの2択。マイクロバスは5000チリペソ(800円弱)。このバス、住所を教えると家でも宿でもどこでも玄関まで乗せてくれる。ただしようわからんタイミングでエンストを起こす。幹線道路のど真ん中でエンストしたり、蛇行して道端で休んだり。私の周りにはデッかいおっちゃんだらけ。原因の一部かもしれない。
宿に着いた。古いペンションを思わせる建物。よう喋るねえちゃんと、眠そうなにいちゃんが従業員だ。閑散期なのだろう。全く気合の入っていない雰囲気だ。ここに延泊しよう。テキトーな雰囲気が気に入った。
さあ聖地巡礼。とばかりに冒頭のホテル・モンテカルロを拝みに行く。町一番の繁華街に位置していた。(人通りはまばら)任務を遂行した私はもうぶらぶら歩くしかなかった。
夕方近くになるとその繁華街がにぎやかになってきた。「冬まつり」が行われるらしい。屋台で焼き鳥のええにおいがする。このクソ寒いのにリオのカーニバルよろしく、薄着で踊る人々。この日は土曜日。翌日の朝6時ごろまでどんちゃん騒ぎは止まなかった。
シーナさんが好むというパタゴニアのラム肉を捕獲しに行く。ただこういう観光地、それなりの出費は覚悟した。まともなレストランに入って、子羊のなんとかを注文。
脂っ気がないのに柔らかい。値段相応に美味いものを食べた。良い気分になった。
この夜、宿に帰るとアルゼンチン人のベレー帽おじさんとチリ人のあんちゃんがステーキ談義をしていた。「ステーキ(アサード)はアルゼンチンが一番や!」と赤ら顔で豪語するおじさん。気持ちよさそうでございます。そして鶏の丸焼きがオーブンから登場。ワインも飲めという。どんな名物よりもこの鶏が一番うまかった。やはりアルゼンチンアサードは最高!
この地には3泊。真冬には見どころも少なそう。でも何となくこの町が気に入った。
プエルトモンで食えるもん
「もう5年になりますね。」
久しぶりに日本語を聞いた。サンティアゴの宿でのこと。台所で食事の支度をしていた私に一人の男性が声を掛けてきた。簡単に自己紹介をした。今月、南米を巡っていることを紹介する。するとこの男性は冒頭のような話をした。アラスカから自転車でアメリカ大陸を5年旅してきたという。このサンティアゴが最終地点。リマの時も旅を終える日本人に会った。今回の男性、旅のスケールが違う。たかがひと月の自分が甘ちゃんに思えた。
そこからの2日間は食堂に出かけたり、民芸品市場に行ったりした。この男性、さらにその友人も交えていろいろ語った。「チリならでは」というものが少ない。という考えで一致した。先住民の生活や手工芸がほとんど見当たらない。大部分はヨーロッパ系の人と彼らが持ち込んだ品々だった。それがチリらしさなのか?使われているスペイン語の響きもどことなく違う気がする。
この先に旅路を考えた。私にとってサンティアゴが第一の目的地だった。案外あっさりと到着してしまった。約2週間ある旅。メキシコに戻る飛行機はペルーのリマから飛ぶ。もうペルーに戻っても良いかもしれない。物価も安いし雰囲気も私好みだ。ただせっかくなので行ったことのないところに行きたい。
ボリビア。高山病に怯え運動ができない。
パラグアイ、ブラジル。遠い。
チリを南下!そうやんか!やはり行けるところまで南下しよう!南へ行けば行くほど何もなくなっていくという話だが…
そしてサンティアゴ2泊目。スカイスキャナーと格闘。複数のルートを考える。目指すはプンタアレナス。南極近く。作家の椎名誠氏の本に書かれた地だ。パタゴニアだ。
サンティアゴから直接行くのもいい。だがもう一つくらい町をみてみよう。プエルトモンという名前が面白そうだ。港町らしい。
サンティアゴからプエルトモンはバス。プエルトモンからプンタアレナスは飛行機という手段をとろう!7月、南半球は真冬だ!さあ天然冷蔵庫を目指す旅!待ってておくれシーナさん!
サンティアゴ発プエルトモン行きのバス。夕方5時半に出陣だ。翌朝8時ごろプエルトモンに着くらしい。はじめはガラガラだったバス。しかし夜が更け、通る町は小さくなるのに乗る人はいるのだ。最終的には満席だった。
目が覚めた。
あたりはまだ暗い。時計を見ると朝7時半。プエルトモンに着こうとしていた。夜明けの遅さが緯度の高さを意識させる。
その日の晩に泊まる宿に荷物を置きに行った。早くに荷物を置きに行ったからか、予約サイトよりかなり高い料金を請求された。手数料がうんぬんかんぬんと管理人は言う。もう他に当たる気力もない。私スペイン語でのやり取りもまだ未熟だ。もうええわ。払えない金額でもなかったので涙をのんで受け入れた。
薄っぺらい食パン2枚と卵焼きが出てきた。朝飯だという。飲み屋の突き出しか!腹の足しにもならんわ!こっちゃ毎朝米1合半食うてます!とはいえ食べな損。30秒で片づけた。
町の中心まで走った。
バスターミナル付近の公園で懸垂をしている兄ちゃんがいた。負けじと私も参戦。私のフォームに改善点があるらしい。彼が助言してくれた。空手がこの町では人気だとか。初めて日本人に会ったとも言っていた。
この町の観光名所として魚市場があるらしい。そういえばサンティアゴで仲良くなった日本人男性も「ウニですよ」と言っていた。行こうウニ食いに!
この町全体が静かだ。宿は極めて静かな場所にある。宿泊費の件はいろいろあったが、主人は良い人。多くの客はこれに満足するのだろう。私も居心地は良かった。ただガヤガヤ系のバックパッカー宿と違い、早朝に勝手にトレーニングに駆け出すわけにはいかない。何でも翌朝は8時に起きるのだという。普段の私ならジム仕事を終え早すぎる昼飯で筋肉に栄養を与えている時間だ。ただトラブルは起こしたくない。一晩だけの付き合いだ。朝には読書したり、息の根を殺した筋トレをしたりしよう。
その夜は主人の友人とも話しながらダラダラと過ごした。この主人もベネズエラ人だという。今の南米各国にはベネズエラ人がいる。またしても味わった現実だった。
もう一泊この町にしてからパタゴニア・プンタアレナスに旅立つ。ただいろいろ気を遣う宿にはもう一泊しようとは思わなかった。多分いい宿なのだろう。私には合わなかったが…多分いい宿です。
プエルトモン2日目は雨だった。寒いし少し鼻風邪気味だ。チロエ島という島が有名らしいが行く気にならなかった。南半球の夏。年末年始に来るといい場所なのだろう。
泊まる宿も決めずにウロウロしています。バスターミナルか空港で夜を明かすか…翌朝は8時の飛行機だ!いざパタゴニア!
サンティアゴにさあ行こう!
サンティアゴに向かう。
国境の町アリカからチリの首都サンティアゴまでの経路を考えてみた。直接行くこともできるだろう。(丸一日近くかかってしまうが…)
いろんなところを素通りするのももったいない。という事でイキケと言う町で一晩泊まることとした。アリカを朝9時半に出発した。イキケには4時間ほどで着いただろうか。バスターミナル付近は雑然としている印象だ。そこから宿を目指す。宿は海岸沿いにあった。絶景である。はずである。但し7月。南半球は真冬です。ただただ吹き荒れる寒風が心を冷やす。
特にすることもなく市場をぶらぶらとした。物価の高いチリ。しかし、魚は安い。宿での調理用に鰯(と思われる魚)を購入。ついでにセビーチェという魚の和え物を食らう。1000ペソ(約150円)。美味い。
ただ何もすることがなく、アリカと比べ寒々とした空気に、どんどん南に来てしまったことを実感させられた。
明くる日、早朝の海岸を走った。この辺りはリゾート地なのかその時間まで飲んでいる人たちもわんさかいた。宿の台所は朝8時まで使えないらしい。前日に仕込んでおいた魚野菜汁を食らう。物音をたてぬようにこっそりと腕立て伏せを繰り返す。ノリの良い受付の兄ちゃんに別れを告げ出発。ここから約24時間かけて首都サンティアゴに参上。
もう何本バスに乗ったかわからない。特に代わり映えのしない光景に疲れてきてしまった。
朝。都。サンティアゴ。
やはり首都。人人人。ただこれまでの通った首都とは少し違った印象。何となくヨーロッパを連想。
この街にはアフリカ系の人たちがたくさんいた。チリにこれほど多くのアフリカ系の人がいるとは予想外だった。言葉の響きが違う。フランス語?露店にはハイチ国旗が躍っていた。ハイチ人たちなのか。祖国の厳しい状況から逃れるべく、ここまではるばるやってきた人たち。この旅で出会うベネズエラ人たちを思い出した。また複雑な思いがした。
宿にはバックパッカーが大挙していた。これくらいガヤガヤしてた方が楽だ。何をしてようがあまり詮索されない。ここには2泊することに決めた。